なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

つぶやき。

昨日書いたのを改めて読んだらちょっと恥ずかしくなってしまって。下書きに戻そうかと悩み、結局そのままにした。

なんにせよ開き直りは必要なのかな。自分はこんなんだという。ね。。

そういえば、/ai/という言葉は、英語ならIで「自分」、韓国語では아이で「子ども」、日本語では「愛」。で、なんか素敵やねっていうのを昔友達と言ってたな。でも今、aiって字面だけ見たらエーアイって読んじゃう人が多いのかもだけど。それはちょっと複雑な気分。笑

…

毎日いろんなことがあって目まぐるしく。でも自分を見失わないように。

今日は懸念事項を一つクリアした。頑張った。エライ!

って、自分を自分で褒めてみる。笑

そんな雨の夜。シトシト。

ZZ…。

 

満月の夜に

満月の夜。パラつく雨に曇天で月はあまり見えない。

個人的になかなかに心折れることがあって。少し沈んでいる。

…

女優の中村ゆりさんが少し前に病気で亡くなったことを知った。私は同性愛者ではないけれど、もし自分が付き合うならこんな人がいいと思うような、惹きこまれる魅力のある人だった。仮にご病気じゃなかったとして、ずっとこの先、歳を重ねていってもきっと変わらず綺麗な人だった気がする。

ご本人のインスタがあって、写真を辿って見ていた。少し儚げでもあり、少女のような透明感と大人の色気を感じさせる優しい笑顔が素敵で。本当に綺麗な人。ずっと見ていられる。

アイドル時代の元相方のmariさんが追悼文をあげられているのも見つけて、その言葉に思わず泣いてしまった。(この記事の中に一部載ってる↓)

news.yahoo.co.jp

 

自分の心が弱ってるせいなのか、何回読んでも泣けてきてしまう。自分が二人と同世代だからなのか、私にも何十年来の親友がいるからなのか、わからないけど。とにかく喪失感と悲しみがダイレクトに流れ込んできてたまらない。なんでそんなに悲しいの?と自問してしまうほどに。

今日は久しぶりに開いたthreads(インスタを少し長文にしたみたいなSNS)でも、白血病闘病中の高校生が綴る美しい言葉がたまたま目に飛び込んできて。あおばくんという男の子の言葉。

ここに一部抜粋してもいいかなぁ。(引用だとわかればいいか。)

"…

15年生きてきて
僕がこの世界でやったことなんて
片手ですくえるほどもないだろう

小学校には半分も通っていない
卒業式にも出られなかった

父と通っていたテニスも
7歳でやめてしまった

特別頭が良いわけでも
運動ができるわけでもない

これから
学校を卒業して、就職して、親孝行して

やり残したことは
やりたいことは
数え切れないほどあって
 一粒一粒が降り積もって
雪山のようにキラキラして見えて

先生から聞く病気の話を
長い時間をかけて受け入れて

希望の降り積もった雪山に
何度も水をかけて
雪が溶けていくのを歯を食いしばって見つめる

…

"

本人のページも開いてみて、彼がすでに亡くなったことを知った。親族の代筆による逝去の報告に続き、彼のお父さんが読み手の人たちに向けて感謝の言葉を綴られていたのだけど、それが優しく穏やかでありながらも隠しきれない悲しみが滲む言葉で。読みながら涙がまた湧き出てきてしまった。悲しい。

知らない人なのに、日常的に何人もの患者さんの死を見送ってもいるのに、ましてや、私が泣いたとて何がどうなるでもないのに、こんなに悲しいのはなぜなんやろう。

きっと受け取りすぎてるのはわかってる。自分の心が疲弊しているから、いつもは機能してる防波堤が崩れてしまっててどうしようもない。心をこんなにも悲しみで満たしてしまって。

今はただ、潮が引くように、少しずつ悲しみが抜けるのを待つしかない。こんなときもあると静かに時が過ぎるのを待つ。行きつ、戻りつ。

こんな日もある。

徒然。

 

曼珠沙華。

雨。そして台風も、また。

news.yahoo.co.jp

人間は本当に無力。はなから自然の猛威の前ではなすすべもなく、AIを進化させたら次はAIの力を制御できなくもなる。

diamond.jp

…

綺麗な人は好きですか。はい、好きです。

(いきなり笑。)

ルッキズムには賛同できかねるけど、綺麗な人というのはいると思っている。性差や、肌の色や、年齢などに関わらず。

もしかすると内から放たれるオーラのようなものなのかもしれない。顔の造作が整っていても、作為的な何かや、隠しきれない計算高さのようなものが滲む場合もある。その点、綺麗な人はくすみのない美しいオーラを放っている気がする。

昨日もそういう人を見て、綺麗やなぁと思っていた。綺麗な人は綺麗な声だったりもするんやなぁ。素敵。

…

秋のお彼岸の頃に咲く花、彼岸花が今年も咲いていた。独特の姿形をもつ、この時期にほんのわずかな期間だけ咲く赤い花。

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少し離れたところにこんなのも。

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彼岸花は赤しかないと思ってたのに、白もあるの?と気になって調べたら、あるらしい。見た目そのまま、シロバナマンジュシャゲというのだと。

シロバナマンジュシャゲは、ショウキズイセン(2倍体)とヒガンバナ(3倍体)の自然交雑種とされる。ヒガンバナの色違いのような白い花を咲かせ、花弁はさほど反り返らず、やや黄色みを帯びる。葉もやや幅広い。一説には、中国のショウキズイセンと、種子を作る種のヒガンバナの雑種であるとも言われている。しかし、赤色のヒガンバナはめったに種子を作らないため「交雑してできた」という説明は説得力が弱い。そのため、赤色のヒガンバナが突然変異を起こし、白色のヒガンバナが生まれた可能性もあるとする説も見られる。by wikipedia(「ヒガンバナ」)

ちなみに、見たことないけど黄色もあるらしい。

彼岸花は不思議な花。地面から葉のない茎だけがスルスルッと伸びてきて咲く。これは葉と花の咲く時期が違うということなのだけど、なかなかこんな花は他に見かけないから不思議やなぁと毎年のように思って見ている。

彼岸花は別名を曼珠沙華(マンジュシャゲ)と言って、たまにこっちの名前で呼んでる人もいる。

曼珠沙華とは、サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味で、「見る者の心を柔軟にする」という意味もあるらしい。これは、「めでたいことが起こる兆しに赤い花が天から降ってくる」という仏教の経典に由来しているのだそう。曼珠沙華を見た人は悪行から離れるといわれるほど崇高な花らしい。

詳しくはここに↓

andplants.jp

では、はい、改めてどうぞ。

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これであなたの心は柔軟になり、悪行からも離れられます!

…なんて。笑

…

季節の花はいつもふわっとそばにいて、なんとなくホッとさせてくれる。大きな賞賛も励ましもないけれど、間違いなく今、同じ時を生きている。それだけで落ち着く気持ちや心もある気がして。(いや、それだけじゃあ物足りない、なんてのは悲しいことだ)

誰かにとって私もそんな感じであれたらなと思ったりする。

 

優しい気持ちで

大分の農家さんから紫蘇の実が届いた。紫蘇の実とは、青シソや赤シソの花が散ったあとにできる小さな粒状の果実のことで、ちょうど今が旬。醤油漬けにするとプチプチとした食感と紫蘇のいい匂いとでご飯がとても進む一品になる。

私はそれが大好きなのだけど、なかなか近所のスーパーでは紫蘇の実を見かけなくて。結局去年は作れずじまいだった。時期を逃すと手に入らないものだし、どうにか今年は作りたい。WEB上で買えたりできないかなと見てみたら、メルカリに収穫したての紫蘇の実を売ってる人がたくさんいて驚いた。最近は植物や農作物もメルカリで取引されてるんやね。知らなかった。

いくつか見てみて、良心的な価格で出品者の人柄もなんとなく良さげなところから購入させてもらうことにした。そして注文から間もない今日、ドサッとたくさんの紫蘇の実が新聞紙にしっかりと包まれて送られてきた。小さな手書きのメッセージがペタッと貼り付けられてもいてホッコリ。こういうのがなにげに嬉しい。

鮮度が良いうちに、実を茎から外して水に漬け込むところだけでもしちゃおうかな?

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今は優しい気持ちがフワッと心に満ちている。誰かが手をかけて育てたものをお裾分けしてもらえたこと、金銭のやり取りだけでない温かい何かを受け取った気がしたこと。これから紫蘇の実に触れて美味しいものを作れる喜び。

大袈裟かもしれないけど、噛み締めてしまう。

こんな瞬間を大事に想いたい。

…

そういえば、最近こんなこともあった。

この前、近所を歩いていたら少し前を歩くお婆さんがふと立ち止まり、身体の向きを変え、手を合わせながらお辞儀をした。お婆さんが向き直した先にはただ駐車場があるだけ。

あれ…?と一瞬思ってから気づいた。今は駐車場になっているその場所にはかつて木造の古い家が立っていて、その玄関口のあたりにお地蔵さんの祠があったのだ。でもその家はいつのまにか取り壊され、駐車場に変わり、お地蔵さんもいなくなってしまった。

祠があったときは私も時々、お地蔵さんをそっと覗き込みながら手を合わせたりしていたのに、無くなってからは忘れてしまっていた。でもお婆さんは忘れてなくて、そこに何も無い今も手を合わせている。その姿がなんだかとても尊く思えて思わず少し泣きそうになった。

お婆さんはきっと、この道を通りながら幾度となくお地蔵さんに手を合わせてきたんやろうな。そしてそれは今でも…。目に見えるものは無くとも、ここにいたことを私は忘れてませんよと伝え続けているのかな。そうなのかもしれない。

そう思うと、なんとなく私もそこに続きたくなって、同じ場所で少し立ち止まり、小さくお辞儀をしてみた。目の前には駐車場の車しか無かったけど、少しだけいい風がその瞬間吹いたような気がした。

…

心の塞ぐことがとても多い毎日で。

でも、ちゃんと見たら、探せば、素敵な世界はまだ残っている。

そういうのを信じていけたらいいなと思う。

 

腐らないために。

久しぶりにパンプキンシード(カボチャの種)を取り出した。低農薬のカボチャだったから余すことなくいただこうかなと。

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ニッパーで外側の硬い殻に切り込みを入れて中身を取り出していく。最近は炒ったりせずそのままパラパラっと粗塩だけ振りかけて食べるのが好き。美味しい。

…

なんでもないような小話。

人って、あんまり調子が良くないときに自分の中のネガティブな部分やウィークポイントと共鳴しあう人に惹かれる(引かれる)ときがある気がする。でもそれって長い目で見たら決して良くはなく…。やっぱり、自分の中の変わらないピュアな部分やコアなところで惹き合う人、共鳴する人と一緒にいた方が絶対いいに決まってる。ちゃんとそういう人と血肉の通った交流をして助け合っていくことが大切やね。…ということを、ふと思った。

 

暗闇の中にずっといたら段々目が闇に慣れていくように、人は良くも悪くも今置かれている場所に順応していく生きものなんだと思う。そうじゃないと生きにくいから。いわゆる"染まる"っていうのはそういうことなんやろうなと。

特に日本は見えない同調圧力の超強い国だから、空気を読んでそこに寄せていくみたいなのが当たり前みたいなとこもあって。全体を覆うムードに流されて、デマやフェイク情報にも簡単に騙されてしまうし…。この騙されやすさはある意味、素直さとか愚直さと表裏一体で、それは日本の良さでもあるし、何よりそうする方が楽なんよね。でも今はその負の部分の代償があまりにも大きくなってると思う。もはや取り返しのつかないほどに。

強者が弱者を踏み潰すのは良くないとか、そんなの当たり前すぎると思ってたけど、それすらもう普通には言えなくなってきてて。でも、仮にそれを言えない空気を嗅ぎ取ったとしても、そこに染まらないことを選ぶ勇気というのは本来賞賛されるべきものなんだと思う。

この記事とか読んでもそう思った。

note.com

"Free Palestine"と壇上で言ったラッパー、Macklemoreがツアーヘッドラインのエド・シーランから解雇された件。

シーランの背後にはスタジアムオーナーのロバート・クラフト(ウルトラシオニスト)がいるとか、Pinkが余りにひどいリベラル・シオニスト節を披露したとか、ツアー前座バンド(アイリッシュ系=反帝国主義)が全てプロテストとしてツアーから降りたとか、シーランの声明が余りに酷い「右でも左でもない僕知りません」節で総スカン食らってるとか、事態がすごいスピードで進む中、私が一番関心したのは、解雇直後に出されたMacklemore自身のインスタ声明だった。

「エド・シーランと彼のチームは、私を「ザ・ループ」ツアーから外す決断をした。

話に入る前に、明確だが大事なことを確認しておきたい。私は被害者ではない。エド・シーランも被害者ではない。ピンクも被害者でない。私たちにはキャリアがあり、お金があり、機会があり、安全があり、世界中に観客がいる。私たちが何を言ったとしても、それによりどんな不利益が発生しても、私たちは家族のいる家に帰ることができる。

被害者はパレスチナの人々だ。殺され、飢えさせられ、追い出され、想像を絶する暴力の中を生きることを余儀なくされた男性、女性、そして子どもたち。ガザだけでも2万人以上の子どもが殺されている。今日も殺されるし、明日も殺される。そのことを見失わないようにしたい。

…

 

続いてこれも。

spur.hpplus.jp

こうした状況を受け、シーランはフィラデルフィア公演の冒頭で観客に直接語りかけた。「難しい決断を迫られ、その中で間違いを犯してしまいました。本当に申し訳なく思っています」と謝罪。また、「会場側が出演者の公演内容を事前に承認する考えに、私は深い懸念を抱いています。自由な世界においてあってはないことです」と述べ、一連の出来事について自身の思いを明かした。

(中略)

「ガザで起きていることは壊滅的であり、正当化できないほど不均衡なもの」と述べた。「大きな被害と多くの命が失われ、とりわけ子どもたちを含む民間人が甚大な被害を受けていることに、深い悲しみと衝撃を覚えています。また、ヨルダン川西岸で続いている組織的な正義に反することについても、決して見過ごすことはできません」と人々の命が失われ続けている現状に胸を痛めていることも明かした。

 

社会が右に寄りすぎて、暴力が有り余りすぎて、エドのような中立だとかノンポリみたいな姿勢が世界ではもう通用しなくなってるんやな。特に影響力のある人たちはその姿勢が厳しく問われてしかるべきだとも見なされてるし…。でも後の記事のエドの言葉なんて、日本の感覚で読んだらちゃんと現状認識して語っててすごいなとすら思えるんやけどね。

そう思うと、私もなんか染まっちゃってるのかなぁなんて思ったりする。それくらいの感覚でいないとここで生きるのは大変だから。なんて、それこそ言い訳かもだけど。

でも、大事なものを見失わないように、社会を覆うムードに流されない自分でありたいなとは改めて。

魂が腐らないためにも。

徒然。

 

そんなに気にならないこと。

青菜の値上がりがすごい。ほうれん草は一束で350円。さすがにちょっと手が出なくて買うのを見送った。

もともと、ほうれん草は小松菜や水菜に比べて少し価格は高めだった。それでもこの辺では一束が170円から190円ほどだったのに、今はその倍。

いきなりの価格高騰の背景には、酷暑に長雨と、不作の条件が揃ってしまったことがあるらしい。でも、それらが原因なのだとしたら、今後もずっと不作になるんじゃ…?困る。

今こうして文字を打ちながら、爪が伸びてることに気づいた。切らなきゃ。

仕事柄もあって、私は爪を伸ばしたことがない。当然、ネイルサロンに行ったこともなく、ネイルについてはほとんど知らない。こんな風に書いたらまるでネイル以外の美容については知ってるみたいだけど、知らない。(知らんのかい)

職場では毎日マスクをつけるし、厚化粧はそもそもNGだし。たぶん美容部員さんやCAさんらと並んだらスッピンだと見なされるくらいの感じで生きてる。香水もNG。最近入った助手さんは柔軟剤の匂いを注意されていた。キツイ体臭もダメだけど、人工的な香りも良くない。

必要なのは清潔感。逆に言うと、それさえあればすっぴんでも何でもいい。(たぶん)

なんて、今の仕事に絡めて色々言ってるけど、個人的には大学生の頃から、最初に勤めた事務職のときだってずっとこんな感じだった。年齢も重ねてきたしと、美容に関心を寄せようとしてみたこともあるにはあったのだけど、結局その気持ちはいつのまにか薄れてしまう。

今は最低限、日焼け止め下地と、パウダー、色付きリップはするようにしてる。あと、眉毛の描き足しと。日焼け止めはラロッシュポゼというやつで、ドラッグストアでも買えて良いよと人から教えてもらってから使っている。パウダーは無印良品のもの。これはなんて名前だったか…。眉毛も無印のアイブロー、リップはニベアのカラーリップ。以上。あ、でも人と会う日はもう少しだけ…マスカラとアイシャドウもするかな。

なんか、化粧をすることで、自分の顔が素顔と別のものになることに違和感があって。元の顔の原型がわからなくなるのが嫌というか…自分の中から顔だけをこんなやたらと強調する必要あるかな?みたいな。笑 人って自分がその必要性を認識できてないことをそんなには頑張れない。必要性を感じる人はそれをするんだろうし、私はそうじゃないからもうこれでいいかなと思ってる。

ちなみにこんなふうでいて、割と人にはよく話しかけられる。見知らぬ人や、子どもや、年配の方々などから。駅前のスーパーに少し久しぶりに行ったら、店員さんが笑顔で「お久しぶりです!」と。「今もう雨降ってますか?私そろそろ上がるのに傘忘れちゃって」と言われ、「あ、まだ降ってないです。なんとかいけそうですよ」と返した。

昨日は地元密着型スーパーのレジのお兄さんに「こんにちは〜!」と言われた。「あ、どうも、こんにちは〜」と返し、持参したエコバッグに食材を詰めながら、なんか覚えられてるんやな、いつもこのお兄さんいるもんな、なんて思ったりした。

ちなみに私自身は結構人見知りで警戒心の強い方なので、こちらから話しかけることは滅多にない。それでも話しかけてこられるというのは良いことなのかな。

なんにせよ、気軽に話せる雰囲気がもしもあるのだとしたらそれは嬉しいし、それで良しやなって思う。

スズムシの鳴く夜に。

こんな記事を読んだ。

news.yahoo.co.jp

コンビニ弁当の値段がどんどん高騰するなかで、白米の上におかずを一品だけ載せた安いお弁当が売られることになったのだと。

私はコンビニでお弁当を買う習慣がないからきっとこれを買う機会も無い気がするけど、物価高もついにここまで来たか…となんだか少し切ないような、怖いような。

それにしても、本当に何もかもどんどん値上がりするから驚く。努めてつましくささやかに暮らしてはいるつもりだけど、これからの生活大丈夫かなぁという気持ちが多少なりとも。

最近、不穏なニュースや不安に駆られる社会情勢に触れるたびに暗澹とした気持ちになることが増えた。一体どうなってしまうんやろうかと。

そんなとき、なんとなくピダハンのことを思い出してみている。

ピダハンとはアマゾン奥地のマイシ川流域に暮らす少数部族のこと。詳細は昔書いた記事を参照…

nare-nare.hatenablog.com

ピダハンの文化には左右の概念や、数の概念、色の名前さえ存在しない。過去の概念も未来の概念も存在せず、ただひたすらに今この瞬間を集中して生きている。ピダハンは獲物が捕えられたら笑い、捕まらなくても笑う。一日に3食食べなくても平気で、それを望むこともない。

ピダハンの平均寿命は45歳ほどと短い。突然アナコンダに襲われて死ぬかもしれず、病気になっても薬がなくて死んでいく。

(私が書いた記事よりこっちの記事の方が読みやすいしわかりやすい↓)

yadokari.net

そのピダハンにちなんで最近よく思うのが、もしも自分がピダハンだったとしたらもうそろそろ死んでるんやなぁってこと。その平均寿命から考えたら全然おかしくはない。

実はなんか、この社会の行く末を案じて不安になったり気持ちが塞いだりしたときに、この、"ピダハンだったらそろそろ死んでる"ということを思ってみると、なんとなく心が軽くなる気がしてて。そっか、そうやんなって。私はたまたま今日本に生きてて、この先、戦争や事故や何かしらがもしも無ければ80〜90歳あたりまで生きる可能性があるけど、ピダハン族だったならそれはたぶんありえない。でもそれがピダハンの世界では普通。

そう思うと、今日という日の重みがグッと感じられて、なんであれ日々を重ねて行くしかないんだという気分になれるのです。今日もひとまず生き切ったな、よしよし、みたいな気持ちにもなれたりする。

一瞬の積み重ねの先にあるのが未来で、未来にたどり着くには常に今を生き続けることしかない。そんな当たり前の感覚が私は時々抜けてしまうから…。

「ピダハンだったらそろそろ死んでる。」

私はこれからも不安になったらこれを呪文のように唱えてみるのかもしれない。少しだけ変わった不安解消法かもだけど。笑 

さて。

金曜の夜の独り言、おわり。

おやすみなさい。