大分の農家さんから紫蘇の実が届いた。紫蘇の実とは、青シソや赤シソの花が散ったあとにできる小さな粒状の果実のことで、ちょうど今が旬。醤油漬けにするとプチプチとした食感と紫蘇のいい匂いとでご飯がとても進む一品になる。
私はそれが大好きなのだけど、なかなか近所のスーパーでは紫蘇の実を見かけなくて。結局去年は作れずじまいだった。時期を逃すと手に入らないものだし、どうにか今年は作りたい。WEB上で買えたりできないかなと見てみたら、メルカリに収穫したての紫蘇の実を売ってる人がたくさんいて驚いた。最近は植物や農作物もメルカリで取引されてるんやね。知らなかった。
いくつか見てみて、良心的な価格で出品者の人柄もなんとなく良さげなところから購入させてもらうことにした。そして注文から間もない今日、ドサッとたくさんの紫蘇の実が新聞紙にしっかりと包まれて送られてきた。小さな手書きのメッセージがペタッと貼り付けられてもいてホッコリ。こういうのがなにげに嬉しい。
鮮度が良いうちに、実を茎から外して水に漬け込むところだけでもしちゃおうかな?

今は優しい気持ちがフワッと心に満ちている。誰かが手をかけて育てたものをお裾分けしてもらえたこと、金銭のやり取りだけでない温かい何かを受け取った気がしたこと。これから紫蘇の実に触れて美味しいものを作れる喜び。
大袈裟かもしれないけど、噛み締めてしまう。
こんな瞬間を大事に想いたい。
…
そういえば、最近こんなこともあった。
この前、近所を歩いていたら少し前を歩くお婆さんがふと立ち止まり、身体の向きを変え、手を合わせながらお辞儀をした。お婆さんが向き直した先にはただ駐車場があるだけ。
あれ…?と一瞬思ってから気づいた。今は駐車場になっているその場所にはかつて木造の古い家が立っていて、その玄関口のあたりにお地蔵さんの祠があったのだ。でもその家はいつのまにか取り壊され、駐車場に変わり、お地蔵さんもいなくなってしまった。
祠があったときは私も時々、お地蔵さんをそっと覗き込みながら手を合わせたりしていたのに、無くなってからは忘れてしまっていた。でもお婆さんは忘れてなくて、そこに何も無い今も手を合わせている。その姿がなんだかとても尊く思えて思わず少し泣きそうになった。
お婆さんはきっと、この道を通りながら幾度となくお地蔵さんに手を合わせてきたんやろうな。そしてそれは今でも…。目に見えるものは無くとも、ここにいたことを私は忘れてませんよと伝え続けているのかな。そうなのかもしれない。
そう思うと、なんとなく私もそこに続きたくなって、同じ場所で少し立ち止まり、小さくお辞儀をしてみた。目の前には駐車場の車しか無かったけど、少しだけいい風がその瞬間吹いたような気がした。
…
心の塞ぐことがとても多い毎日で。
でも、ちゃんと見たら、探せば、素敵な世界はまだ残っている。
そういうのを信じていけたらいいなと思う。