なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

祖父からのメッセージ。

最近、なぜだか父方の祖父のことをよく思い出す。ボンヤリしているときや、なんとなく気分が落ち込んだときとかに、ふと。

祖父はとても人当たりがソフトで穏やかな人だった。でも、何より、強い人だった。

あれはたしか私が高校を卒業したばかりの頃、季節は今くらいだった気がする。父に連れられ、私は祖父の家を訪ねた。祖父宅の応接間のソファに座り、私は祖父にインタビューをした。この世に生まれてから今に至るまでのライフヒストリーの聞き取りをしたのだった。

それをしようと提案したのは父で、父曰く、「こういうのは今のうちにやっておかないといけない」と、そういうことだった。おそらくは、祖父が健在なうちに、その話をしっかり聞いておくことが私の生きる糧になるという思いからだったのだと思う。

私は私で特に断ったり嫌がる理由もなかったので、すんなりそれを了承した。インタビューは私が祖父の人生について時系列に沿って質問していき、時々、父が私の言葉足らずを補完するような、そんな感じだった。祖父は私の質問にほとんど悩むことなく次々と答えてくれた。父はその様子をビデオに収めていた。

この前、実家に行った時、部屋の整理をしていたらそのときのビデオが発見されて初めてそれを観た。基本的にビデオの中に映っているのは祖父の姿だけだけど、時々、その周りに祖母の姿がちらちらと映り込んだ。当時、認知症がだいぶ進んでいた祖母は、いつもとは違う何かが行われていることに落ち着かない様子だった。時折、意味不明な言葉(のような叫び声のようなもの)を発したりもして、そのたびにインタビューが少し中断した。でも、父も祖父も祖母を別の場所へ行けと排除したりすることなく、祖母はそのときのあるがままの姿でその場に一緒にいた。

祖父の口から語られた様々なエピソードはどれも大変な苦労といえるようなものばかりだった。でも祖父はそれをいたって普通に、笑顔をたたえながら話してくれていた。まるで何でもないような感じで。苦労したんですね、と私が言ったときも、祖父は「たいした苦労してへん」と笑っていた。

祖父は何もないところから一代で会社を築き、父を含む子どもたち四人を大学まで卒業させた。私が子どもの頃に住んでいた家は、元は祖父の家だった。それを父が譲り受けたのだった。伯父の家もそう。伯父は祖父の会社も継いだ。

祖父も祖母もいつでも身綺麗だった。私が記憶する限り、祖父がクタクタな服を着ていたことなんて一度もない。いつでもピシッとしていた。でも頑固だとか厳格だとか、そんな感じではなく…。時々カッとなったらすごく怒ったりはあったかな。でも基本的に紳士的で、私を含む孫には優しいお祖父さんだった。

祖父は私に「金持ってる人を見つけなあかん」と笑顔で時々言っていた。要は、お金を稼ぐ男性と付き合いなさいよということなのだけど、祖父のこの言葉は単にそれだけではなく、したたかに生きなさいというメッセージが込められていたような気がする。

長い時を経て発見された祖父のインタビューを見て感じたのは、祖父という人のしたたかな生き様だった。人生の中で何度もピンチや苦境に立たされながらも、決してその荒波に飲みこまれることなく、臨機応変に波を乗りこなしてきた、その強さ、賢さ。「たいした苦労してへん」というのは、自分の体験を苦労と思うから苦労になる、そうじゃないだろうと、恐らくはそういうことなのだ。そしてどんな状況であれ、どうにかやっていけると信じろと、そんなことをも言っているようだった。

最近になって祖父のインタビュー動画が発見されたことや、なぜだか祖父のことを繰り返し思い出すのは、もしかすると祖父からの激励なのかもしれない。実際、祖父を思い出すと元気が出るのだ。

不思議やな。私の中に流れる祖父のDNAが、折れるなと私の心を支えてくれているのかもしれないな。

世界も日本の未来も暗すぎて(苦笑)、このままとんでもないことになっていきそうで恐ろしいのだけど、そうなったらそうなったでそこを生きるしかないんやもんな。(そうならないことを祈りはするけれど)

時代や社会がどうであれ、うまくやるすべはある。きっと。

…よし。

ひとまず書いた。

明日もきっと良い一日。