なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

カエル。

眠かったけどなんだかんだしてたら少し目が開いてしまった。寝る前のつぶやきのような記録。

知り合いのお子さん(小2の男の子)が国語の授業中に書いたという詩を目にする機会があった。素敵だなと思い、ほかの人にも見せていいかと尋ねたらお好きにどうぞということなのでここに少し転載させてもらおうかと。

『かえる』

ぴょこ ぴょこ ぴょん かえる ひといきで ぴょーーーーーーんと とびはねて 木の上に ぴょーんと とんだら 木より 大きいビルの上 そこから ぴょんと とびはねたら お空の雲の上に ぴょーんと とびはねたら ちきゅうが 見えた

これを読んだ時、子どもの心の柔らかさってすごいなぁと思って。面白いなと思うのが跳躍を表す「ぴょん」の表現が場面によって変わること。

最初の地面から木の上に飛び上がる場面の"ぴょーーーーーーん"は強調の横棒(ー)の数が一番多くて6個もある。それが木からビルの上に飛び上がる時には棒線は1個になり("ぴょーん")、ビルの上から空の雲の上に行く時には"ぴょん"と、いとも簡単に飛び移っている。なんやろう、最初の弾みをつけて波に乗りさえすればそこからは容易くいけるというイメージなのかなぁ。面白い。

何より素敵だなと思うのが、最後に"ぴょーん"と飛び跳ねた先でカエルは地球を見ている(=宇宙のどこかにまで到達している)ということ。ひたすら上(前)を目指して突き進んだ先で行きつくところまで行ったカエルの視線はついに下(後ろ)を向き、地球を見下ろしている。こんな短い文の中でカエルを地面から宇宙にまであっという間に飛んで行かせてしまえるその発想の柔らかさに感動すら覚える。そして締めくくりの「ちきゅうが見えた」からは他ならぬ自分自身をカエルに重ね合わせていることがわかって、それも素敵やなぁと。

ねー、こんなふうに飛べたら素敵やんね!と、もしもこの子がそばにいたのならきっとコメントしてしまう。私もおんなじように思ってた頃があったよって。

子どものままの心を持って大人を生きるのはたぶん難しい。おそらくは意識してできることでもない気がする。大人になることで知ることは増えてできることも増えるけど、それとともに失ってしまう何かも確実にある。子どもは大人が知らず知らずのうちに忘れてしまったものを思い出させてくれる存在でもあるなぁと改めて思った詩だった。

 

徒然。