なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

ここにある。

書こうと思ってたいくつかの話のうち、15分以内に書けそうな話。

木下さんという患者さんがいる。80代の男性。

木下さんはとある難病を患っていて、病気の症状として幻視がある。部屋を覗くと時々、何かを振り払う手の動きを繰り返していて、「蜂がおるんや」と言う。もちろん、そこに蜂はいない。そんな感じでいつも誰かに向かって話しかけていたり、時には怒っていたりもある。

そうかと思えばひたすらに寝ている日なんかもある。そんな日は声をかけても身体に触れてもどうしたって寝ている。もうこのまま起きないんじゃないかと疑うくらいに。

なんだかんだで木下さんは病棟で好かれている。起きている時にはハハハッと急に笑い出したりして、そのときの笑顔がどうにも人懐っこくて可愛いのだ。年長者に向けて可愛いだなんて感想を持つのは失礼かもしれないけど、でもこの言葉が一番しっくり来る。まるでいたずら好きの少年みたいな笑顔。

先日は病棟の看護師さんから突然内線電話があって、今すぐ木下さんのところに来れますか?と聞かれた。何事かと思いすぐさま駆けつけたら、部屋に近づくにつれて声が聞こえて来た。

「へいへいほー!へいへいほー!!」

部屋に入ると木下さんが大声で北島三郎の『与作』を歌っていた。連絡をくれた看護師さんは私と仲のいい人で、木下さんがこんなに大声ではっきりと歌うなんて珍しい場面を私にも是非知らせたいと思ってくれたのだった。

たしかに私は患者さんとの訓練でよく一緒に歌を歌うから。それをわかってて知らせてくれたことがまずは嬉しくて、そして目の前で熱唱している木下さんを見たらどうにも可笑しさが込み上げても来て、思わずふふっと噴き出してしまった。木下さんはそんな私につられたのか、例の少年みたいな笑顔でハハハッと笑った。

先週の木下さんはいつもよりもシャンとしてる日が多かった。昔のことを思い出して語り出したり、食べたいものをリクエストしたり。饒舌にしっかりと語るその様子を見て、私は患者さんによくする質問を木下さんにもしてみた。

「これまでの80余年の人生は長かったですか?あっという間でしたか?」

木下さんは少し考えて、「まあ割と早かったな」と言った。そして何かまた考えるような沈黙を挟んでから、「なぁ、何でもな、あると思ったらある。無いと思ったら無いんや。」とつぶやいた。そのときの表情はとても穏やかで、しみじみと噛み締めるような口調だった。

私は「きっとそうなんでしょうね」とだけ返して、そのあとはまたお互い少しだけ沈黙した。なんとなく黙って言葉の余韻を反芻するみたいな時間だった。

あると思ったらある、無いと思ったら無い。たしかにそうなんだろうなと思う。今目の前にコップがあるけど、これだってあると思うからあるわけで。目に見えないものだってそう。自分がどう思うかで決まる。この世界に存在するすべてはきっとそうなんだろうなとも。

 

15分で終わる予定が少しオーバーしてしまった。でもこの話を書いたことでなんとなくすっきりと眠れる気もして良かった。

 

今、眠いと思ってる自分はここにある。たしかにあると思っている。

笑。

 

明日もきっと良い一日。

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