なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

豊かに生きる。

もうすぐ終わってしまうけど、21日の今日は夏至で、関西地方は梅雨入りの日でもあった。

夏至は夏の始まりだとも言われるけど、今日を境に昼の時間が短くなっていくということだからなんとなく"始まり"という気分の日ではないなと感じる。実際、夏至の日には新しいことを始めるよりも過去の自分と対話しながら内省的に過ごすのが良いという説もあるらしい。

内省的にということで、ここじゃない媒体で昔書いていた文を少し読み返してみていた。もうかれこれ10年以上前に別のブログに載せてた記事なのだけど、この頃に書いた文は我ながらなかなか面白いなと思うものがあって。当時の自分が今の自分に向けてメッセージを放ってくれてるみたいに思えることがあったりもする。今日はそんな文を少し転載してみようかなと。

北海道を旅行して色々考えたりしたことを書いた記録。ある年、冬と夏に北海道の道東を旅行したときがあった。冬は谷川さんという友人と流氷を見に行き、夏は家族で知床を散策したり阿寒湖や釧路湿原などを見て回った。以下は家族との旅行の後に書いた二つの記事。

注:結構長いです。(ちなみに、『道東へ』というタイトルでシリーズのように1から6まで書いてて、2の後の3、4は主に北方民族のことについて調べたり考えたことを書いた記事なのでここでは割愛。※写真も当時のもの。)

『道東へ2 北方民族』 20××年8月

今回の旅で行った場所の一つに網走にある北方民族博物館がある。ここは唯一、父の希望で行くことになった場所。そこには北方民族に関する貴重な映像や資料がたくさん展示されていた。アザラシの腸を縫い合わせて作ったパーカや、トナカイの毛皮で作ったブーツ、病人の周りを太鼓を叩いて踊るシャーマンの映像、村人が集まり歌いながらクマの魂を送る「クマ送り」の儀式の映像・・・。すごく刺激的でおもしろくて夢中で観て回った。

北方とは、概ね北緯40度から45度以北の地域を指すらしい。シベリアとかサハリンとか。
民族の名を挙げるなら、アイヌ民族のほかに
イヌイットの人たち、アラスカのインディアンなどがいる。北方民族の人びとの生活には素晴らしい生活の知恵が溢れていてそれでいてその精神世界は独特ですごく魅力的。
もっと知りたくなって、博物館の資料集と『北方民族を知るためのガイド』を購入しホテルで寝る前ずっと読んでいた。

"人類が温暖で暮らしやすい地域に安住せず、なぜ北へ向かったのかについてはさまざまな説明がされています。マンモスやケサイなどの大型草食獣を追っていったのか、人口圧や敵対関係によって押し出されたのか、あるいは氷河期の寒冷な気候が緩んだ間氷期に高緯度へ進み寒冷な気候が戻ったときにはそこで適応することを余儀なくされたのか。いずれにしても人類は好奇心旺盛な動物であり未知の土地を求めて旅をするものなのだという考えも説得力のあるものです。"(『北方民族を知るためのガイド』より)

北方民族についての情報は私の好奇心を刺激する要素がいっぱいすぎて語り出したらたぶんこれだけですごいことになりそう。クマ送りの儀式の意味とか、食べ物の保管方法のこととか、
寒冷地で暮らす素晴らしい知恵の数々・・・。その神秘的な信仰の姿、精神世界、シャーマンが超自然的な世界とどう交信してるのかや、北方独特の民族楽器のこと・・・。

ちょっと、北方民族についてはもう少し自分なりに深めてからまた書くかもしれない。興味ない人にはごめんなさいだけど、でも面白いんやもん!

もし明日も北方民族のこと書いてたらごめんなさい。

『道東へ5 豊かに生きる』20××年8月

私が北海道を好きな理由。それは、ちゃんと大地を踏みしめて立っていることを感じられるからだ。どこまでも続く一本道や大草原、電線の無い空。必要以上の物に溢れ、それを次々と欲しがる物欲とは何とも無縁の世界に思える。

・・

以前、冬の知床を谷川さんと旅したとき、女満別(めまんべつ)空港から網走を経由し知床まで一面真っ白な道をひたすらバスに揺られた。時折、凍った湖面でわかさぎ釣りをする人たちが目に飛び込んでくる以外、ひたすら続く真っ白な世界。何を考えるでもなくそんな白の景色をぼんやりと眺めていた。
ただ外を眺め、気づけば2時間が経っていた。知床までの道のりはあっという間だった。

私たちが旅する直前、北海道は猛吹雪で、宿泊したホテルは屋根が一部、無残にもめくれあがってしまっていた。そのなんとも生々しい傷跡に、私たちはすっかり恐れおののいてしまったのだけれども、ホテルの人は、「本当に大変な吹雪でねぇ。お客さん、いいタイミングで来られましたよ」と、いたって穏やかな笑顔で言った。その様子を見ていて、(ああこんなことはよくあることなのか)と気づき、改めて驚いた。

当たり前に自然に感謝して生きる。知床に暮らす人たちはそうやって生きているんだということを知った。

外に出て流氷が打ち寄せる岸辺を歩いた。痛いくらいの寒さで、しっかり防寒したはずの手足がすぐにかじかんでしまって困った。でも不思議と心は安らかで、何もないけどそれがなんかいいな、と思った。流氷を見る以外の目的は特に無かったから、夜は谷川さんと卓球をした。お互い下手くそすぎて笑った。すこーんと突き抜けた笑いがずっと続いた。

その夜、すごく満たされた気持ちで考えていた。都会に住む人間は地球という惑星の中で人間が一番エライと思っているんじゃないのか。何でも科学で解決できると思っているんじゃないのか。勘違いで傲慢な人間!でも自分も知らず知らずのうちにそんな社会の空気に飲み込まれてしまっている。
都会は刺激的で楽しい。そう思ってきた。でも・・何やろう、この違和感。私が欲しがっていたものって一体・・?屋根がめくれあがった知床のホテルで流氷を見て卓球をした。これ以上の何か?これ以上の幸せ?よくわからない。わからないけど、この違和感はすごく大事な気づきに違いない。そんな漠然とした確信を抱きながら眠りについたのを覚えている。

・・

実はこれまで書いてきた北方民族の話はこのときの気づきにつながる話だ。私が最近読んでいる小沢健二の著書『うさぎ!』にこんなことが書かれてある。

"この星には、無数の土地で、無数の共同体が考え出した、無数の社会の仕組みがあるのに!
そして、そういう無数の社会の仕組みのすべてが、無限に発展して、無限に新しい社会の仕組みをつくり出す可能性があるのに!それなのに、豊かな国々では、『資本主義と社会主義。どっちが正しい?』みたいな論議が仕組まれる。
それは『コーラとペプシ。どっちがおいしい?』っていうのと変わらない。どっちもおいしくないって答えたくなる。この世の中が、いくつもあるんじゃない。『この世の中を見る見方』が、いくつもある。『この世の中を語る語り方』が、いくつもある。それなのに、その語り方の中の一つだけが、『これがきちんとした物の見方ですよ』と教えられる。大学とか、学問というもの自体、そもそも全部が、『白人文化の目で物を見る』ように教えるものだから。そして、『大学を中心とした学問の世界』そのものが、白人特有の文化だから。僕らの心に叩き込まれるのは、支配者が書いた歴史。支配者が教えたい世界観。支配者に都合のいい、物の見方。"

この文章、過激やと思う?私はそうは思わない。すごく納得がいくしわかりやすい。みんなが言いにくいことをはっきり言うと、それは「過激」ってことになる。でもそれって誰かから仕組まれて刷り込まれた物の見方じゃないのかな。「過激」だと思いなさいって思わされてるんじゃないのかな。

北方民族の世界には北方民族特有の価値観、仕組みがある。それを白人文化の価値観から見て評価して、劣ったものとして見なす。そんな風潮はたしかにある気がする。
 映画『借りぐらしのアリエッティ』でも小さな小人のアリエッティに向かって主人公の人間の男の子がこんなことを言っていた。"君たちはもうじき絶滅して一人も居なくなる。たくさんの動物が絶滅してきたのと同じようにね"。

アリエッティたちの暮らしはキラキラしていて美しい。それを絶滅させようとするのは誰?

私が冬の知床で感じたことと、『うさぎ!』で書かれてあること、『借りぐらしのアリエッティ』で語られることは全部つながっている。
今回の旅もまた、それを確認する旅になった。

・・

北方民族の精神世界や生活に感動し、多くを語ろうとするのは馬鹿げているかな?無駄なこと?じゃあ無駄じゃないことって一体何やろうね。

問いかけられたらその答えを必死に探す。
そうやって「豊かな国」で私は、できるだけ豊かに生きたいなと思うのです。

よし、私よ、日頃無駄なまでのポジティブ精神を今こそ発揮するときだ! ・・なんて。笑

つい長々書いてしまったけど、自分のために書いておきたくて書きました。

 

写真は上が900草原、下が阿寒湖。

f:id:nare-nare:20240621235202j:image

f:id:nare-nare:20240621235110j:image