なんでもない日々。

日々の思いや気づきなどを雑多に書きます。

衝撃的な。

シンフォニーホールでチョ・ソンジンのピアノリサイタルを観てきた。

最初に断っておくと、私は音楽についてはド素人で、クラシックもピアノの演奏も好きだけど専門的な知識は無に近い。ただ好きなだけ。なのでコンサートの感想も他の音楽通の人のように強弱のコントロールが云々とか、ペダリングがどうのとかは全然書けない。

以下はそういう音楽の専門的知見を持たない人間が聴いた今日のコンサートの感想など。

ちなみにこれも先に言っておくと、何もわからない人間にもハッキリと確信できるくらいに今日のコンサートはめちゃくちゃ素晴らしいものだった。

チョ・ソンジンといえば2015年のショパンコンクールの優勝者であり、若くして世界最高峰のとんでもない実力を持った人。

…ということだけは実はかなり前から知っていた。でもなんとなくじっくり聴き込んだりすることはないままに今まで来てて、最近になって、これまたなんとなくYouTubeなどで演奏を聴くことが増えた。

フィーリングやテンションが合うというのか、聴いてて落ち着くというか。特にショパンの演奏が好きで、ブログを書く時にはこの四つのバラードの演奏をよく聴いている。

今、外は雨が降っていて、ほんの少し開けた窓の向こうから雨音が流れ込んでくる。その雨音ともこのピアノの音色は違和感なく溶け合う感じがする。優しく詩的なイメージの沸く演奏でとても好き。

 

今日のコンサートのパンフレットの中にチョ・ソンジンについてのこんな紹介がある。

圧倒的な才能と生来の音楽性を持つチョ・ソンジンは、同世代の最も優れた才能を持つひとりとして、また現在の音楽界における最も異彩を放つアーティストとして名を成している。思慮深く詩的で、堂々としながらもやさしく、また極めてヴィルトゥオーソ的で色彩豊かなチョ・ソンジンの演奏は、貫禄と純粋さを兼備し、見事なバランス感覚によって生み出されている。

この紹介文に全面的に同意。まさにそんな感じ。

ちなみにヴィルトゥオーソというのはどういう意味かと調べたら、音楽演奏において格別な技巧や能力によって名人、達人の域に達した人物を指すイタリア語であるらしい。これもまたまさしくそうやなと思う。

今日演奏されたのは前半がラヴェルで後半はリストの曲だった。ラヴェルソナチネ、高雅で感傷的なワルツ、そして、夜のガスパール。後半はリストの巡礼の年第2年「イタリア」。

正直、今日演奏された曲の中で聴いたことがあり知っていたのは「夜のガスパール」くらいで、リストの「巡礼の年」はそのような曲集があるということをにわか知識として知っているくらいだった。

ラヴェルもリストも全体的にとても難解でいまいち掴みどころが無いというのが私がそれまで持っていた印象だった。好きか嫌いかで言うと好きでも嫌いでもない。たくさん聴くかと聴かれたら、うーん…という感じ。でもなんとなくチョ・ソンジンが弾くなら聴いてみたいと思えた。そしてそれは正解だった。

最初に弾いたラヴェルソナチネは何か匂い立つような優美な美しさがあって…聴きながらゼラニウムの花の香りがしてくるみたいだった。演奏を聴いてて何かしらの風景や思い出が頭に浮かんでくることはよくあっても香りの記憶が呼び覚まされるなんてのは初めてのことで驚いた。

続く曲たちにもあっという間に引き込まれて、難解でよく知らないはずのラヴェルがこんなにも身体の中に入り込んでは鳴り響いていることに衝撃を受けた。そう、衝撃的だった。"圧巻"とか"素晴らしい"とかじゃなんか足りない。驚異的と言ってもいいかもしれない。私はずっと驚いていた。私の心と身体がそこで鳴っている音を受け取って、明らかに今まで感じたことのない別次元の世界に触れていた。

後半の、巡礼の年「イタリア」の一曲目では想像の中のアドリア海の青い海が心の中いっぱいに広がっていき、耽美的で夢のような演奏に没入しながら迎えた最後の7曲目「ダンテを読んで ソナタ風幻想曲」では、足元の大地が揺らぐような凄まじい感覚に包まれて打ちのめされた。本当に地震が起きてもおかしくないくらいのとんでもない熱量の音がそこで鳴っていた。

二階席の最前列の端っこにいて、最後の一音が鳴り終わった瞬間、一階席の人々がジャンプするみたいにワッと一斉に勢いよく立ち上がるのが見えて、その光景もまた壮観だった。割れんばかりの拍手と喝采、飛び交う怒号のような歓声。そのとき、同じ感覚を受け取っていたのが自分だけではないことを知った。ああ、こんなすごい演奏を聴くことってもうそうそう無いかもしれないなと思ったりもした。

人々の興奮を鎮めるようにしてアンコールで演奏されたのはシューマンの「トロイメライ」で、一転して優しく穏やかな夢の世界が眼前に広がっていった。それはまるで一編の短編映画のようで…。

霧がかった小道をワンピースを着た少女が走っている。少女は次第に大人の女性となり、隣には恋人のような男性がいて二人は談笑しながら霧の小道を歩いている。やがて女性はまた一人になり、背は段々と縮み老婆となっていく。向かう先には薄っすらと小さな丸太小屋が見える。そこが彼女の家なのかはわからない。ただそこに安息があればいいのだけれど。

実際に演奏を聴きながらこんなイメージが頭の中に浮かんでは消えた。なぜだか知らないけど熱いものが心に込み上げてもきて、ほんの少し泣いてしまった。

思ってた以上に、想像してた以上の素晴らしいコンサートだった。たぶん今後の人生においても忘れられないコンサートの一つになったと思う。

演奏を聴きに行きたいなと思った日にちょうどシンフォニーホールでコンサートがあることを知り、それがたまたま予定の無い日でチケットも無事取れて観に行けて。こんなのも何かの縁なんやろうな。

とりあえずソンジン氏にありがとうございますの気持ち。来日してくれて、聴かせてくれて本当にありがとうございました。とてつもなく心が揺さぶられて満たされました。

 

アルゲリッチの演奏だけど、トロイメライはこの演奏も好き。

 

最高だった。

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